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よくある質問ーアイヌの歴史・文化の基礎知識

Q1. 国立アイヌ民族博物館とはどんな博物館ですか?

  • 国立アイヌ民族博物館とはどんな博物館ですか?

     国立アイヌ民族博物館は、アイヌ語で「アヌココㇿ アイヌ イコロマケンル」(私たちが共有するアイヌの宝物が入った建物)です。この博物館は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの尊厳を尊重し、国内外にアイヌの歴史・文化等に関する正しい認識と理解を促進するとともに、新しいアイヌ文化の創造及び発展に寄与するために設立されました。博物館も含むウポポイ(民族共生象徴空間)では、アイヌ語が第一言語となります。

     2007(平成19)年9月に国際連合総会で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」と2008(平成20)年6月に衆参両院で全会一致した「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を受けて、内閣官房長官の下に「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が設置されました。そして、2009(平成21)年7月に懇談会の報告書で「民族共生の象徴となる空間」(現在のウポポイ)の整備がアイヌ政策の「扇の要」と位置づけられました。また、2019(令和元)年5月に施行された「アイヌ施策推進法」(略称)においても、ウポポイ(民族共生象徴空間)が規定されています。

Q2. 博物館ではどのような資料が展示されていますか?

  • 博物館ではどのような資料が展示されていますか?

     博物館の常設展示となる基本展示室は、「私たち」というアイヌ民族の視点で、「私たちのことば」、「私たちの世界」、「私たちのくらし」、「私たちの歴史」、「私たちのしごと」、「私たちの交流」の6テーマで構成され、アイヌ民族が過去に使っていたあるいは現在でも使っている生活用具をはじめ、アイヌの歴史や文化に関する資料やアイヌ民族と交流がある諸民族に関連する資料など幅広く紹介しています。また、体験を通じてアイヌ文化に触れることができる「探究展示 テンパテンパ」もあり、大人も子どもも楽しめます。

     展示資料は、民族資料を中心に、歴史資料、文書資料、考古資料、絵画資料、現代の美術・工芸作品、写真・動画等の映像資料、音声資料、図書資料などと多岐にわたり、必要に応じて複製品や模型も活用しています。基本展示室では、約800点(2020年9月時点)を展示し、定期的な展示替えを予定しています。収蔵資料は約1万点です。

Q3. どうして展示資料は「古い」資料ばかりではないのでしょうか?

  • どうして展示資料は「古い」資料ばかりではないのでしょうか?

     博物館ではアイヌ民族、あるいはアイヌ文化の歴史を伝える貴重な資料を展示していますが、同様に⑴遺された資料をもとに復元・複製された資料、⑵現物の資料がないために参考資料として展示している資料、そして⑶現代に製作・使用された資料や作品なども展示しています。

    ⑴現存する資料が限られており、すでにその製作技術等が現代のアイヌ民族に伝わっていないこともあります。そうした資料をアイヌ民族自身が調査、研究し、復元資料を製作して、博物館の展示に活用しています。このように博物館を伝承活動の場として活かすことも、博物館の目的とするところです。

    ⑵また、現存していない、あるいは数が限られており、当館では所蔵していない資料などは、現代のアイヌ民族の生活で使われているものなどを参考資料として展示している場合もあります。

    ⑶そして、現代の工芸家やアーティストのみならず、様々な職業についているアイヌ民族が製作したものや、使用しているものを展示しています。


     このような資料を含めて展示するのは、当館が「モノ」だけではなく「コト」(技術や出来事など)も貴重な文化財としていることによります。

     一方で、生活に関する資料の特徴として、資料のバックデータが限られていることがあげられます。たとえば、製作者や製作年、製作地などが不明の場合があります。当館の資料も、そうしたバックデータが推測の域をでないものが多くあり、したがって、不確定な情報は展示室では示していません。こうした情報は、今後の研究成果によって明らかにすることが求められます。

Q4. アイヌ民族はどのような歴史を歩んできましたか?

  • アイヌ民族はどのような歴史を歩んできましたか?

     19世紀頃までのアイヌ民族は、北海道、樺太、千島、東北北部などに住んできました。現在でも多くの人々が北海道に居住していますが、北海道を離れ関東圏などの日本国内、そして国外にも居住しています。

     アイヌ民族の歴史のはじまりは、北海道に人類がやってきた3万年前頃にまで遡ることができます。7世紀頃から、これまでの狩猟採集や漁撈に雑穀農耕が加わり、海を越える交易を盛んにおこなう特色ある文化が形成されていきます。

     17世紀、周辺の諸民族と自由に交易をしていたアイヌ民族は、交易権を独占した松前藩によってその交易の場が制限されました。18世紀に入ると、和人の商人が交易を請け負い、漁場経営をする中で、多くのアイヌが漁場での労働に従事させられ、アイヌの社会は和人の経済社会に取り込まれていきます。

     19世紀後半、南から和人、北からロシア人がやって来ると、アイヌの住む土地に日本とロシアの国境ができました。アイヌ民族は、樺太や千島から北海道へ強制移住させられ、北海道でも和人が街などを作るために強制移住させられることがありました。そして、伝統的なアイヌ文化の風習の禁止、日本語の習得が勧められるといった同化政策によって生活は大きな影響を受けました【質問(12)参照】。 戦後、アイヌ民族は、差別に抗議し、貧しい暮らしを良くするため、世界の先住民族とも協力しながら、さまざまな活動をはじめました。

    参考文献
    アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会『報告書』 2009年
    ・榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館2007年
    ・関口明ほか編『アイヌ民族の歴史』山川出版社2015年
    ・田端宏ほか編『アイヌ民族の歴史と文化』山川出版社2000年

Q5. アイヌ民族が現在までどのように文化を受け継いできましたか?

  • アイヌ民族が現在までどのように文化を受け継いできましたか?

     19世紀前半までアイヌ民族は、主に狩猟漁撈、採集などの生業活動や日常生活の中、あるいは儀礼や祭礼などを通じて技術や知識を子孫に伝えてきました。しかし、19世紀後半から、北海道に多くの移民が入ってくると、アイヌの伝えられてきた習慣が禁止され、日本語の習得を勧められるなど、それまでの生活を送ることが困難になりました【質問(12)参照】。そのような大きな社会変化の中で、差別により親が子に言葉や知識を伝えない、あるいは生活に追われるなど文化を継承することが困難となりました。

     1970年代ころからアイヌ文化伝承のために、道内各地で刺繍や木彫の技術を伝え、踊り、歌の伝承活動が行われています。現在は、アイヌ語や歴史を学べる大学や刺繍や木彫の講習会など、各地でアイヌ文化を学ぶ環境が少しずつ整ってきています。

    参考文献
    アイヌ生活文化再現マニュアル

Q6. アイヌ民族の世界観とはどのようなものですか?

  • アイヌ民族の世界観とはどのようなものですか?

     アイヌ民族の世界観を理解する上でラマッ(霊魂)とカムイという重要な2つの概念があります。

     ラマッ(霊魂)は、それ自体は不滅で、動植物、自然現象、生活道具などさまざまなものに宿っていると考えられてきました。中でも、アイヌ(人間)にとって重要な働きをするもの、強い影響力があるものをカムイと呼びます。この世では、肉体や物全てにラマッがあり、肉体が滅んだり物が壊れたりすると、ラマッはもといた世界に帰ると考えられてきました。

     カムイは、カムイの世界にいるときに人間と同じ姿で暮らし、人間と同じような感情を持っていると考えられてきました。時にカムイは、人間の世界を訪れることがあり、人前に現れるとき動植物や自然現象などさまざまな姿となるとされます。

     参考文献
    ・今石みぎわ、北原次郎太『花とイナウ―世界の中のアイヌ文化』北海道大学アイヌ・先住民研究センター2015年
    ・北原次郎太『アイヌの祭具 イナウの研究』北海道大学出版会2014年

Q7. アイヌ民族はなぜ先住民族と認められているのですか?

  • アイヌ民族はなぜ先住民族と認められているのですか?

     日本政府は、2019(令和元)年、「アイヌ施策推進法」(略称)でアイヌ民族を「先住民族」と規定しました。その意味については2009(平成21)年7月にまとめられた『アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書』が参考になります。

     それによれば、「先住民族とは、一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である」(下線は引用者が付加)とされています。 アイヌの場合は、近代国家(明治政府)が形成される過程で、多数民族の支配を受け、それでもなお独自の文化とアイデンティティを保持していることから、「先住民族」と考えることができるとされています。つまり、アイヌ民族にとっては近代国家(明治政府)からの支配を受ける以前から、住んでいたことがポイントなのです。

    参考文献
    アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会『報告書』 2009年  p.23-24

Q8. アイヌ民族は日本人とはちがうのですか?

  • アイヌ民族は日本人とはちがうのですか?

     日本国籍を持つアイヌ民族は日本「国民」ですが、固有の文化をもつ独自の「民族」です。普段、何気なく使っている「日本人」という語には、国民と民族という二つの意味が絡み合っています。現在の文化人類学・民族学において、「民族」は、いつまでも変わることのない文化を全員が一様にもつ集団ではなく、常に変化を繰り返し、地域ごとの違い等を豊かに含んだ文化をもつ集団として理解されています。地域によっても、世代によっても、受け継がれる文化は様々なものとなるため、どのような文化を受け継いでいるかということ自体が民族という集団の範囲を決めるわけではありません。民族間の境界は人々がお互いに意識することによって維持されることになります。またそもそも、特定の皮膚の色や頭蓋骨の形などを知能指数の高さに結びつけ、あたかも各々の身体的特徴が関連しあった一つの集団が存在するような「人種」やそれに基づく「純血」や「混血」といった考え方は、現在では学術的に否定されています。
      また、日本人という集団は近代の国家の動きの中で生み出された「国民」でもあります。それは明治以降、当時の政治的な状況の中で形成され、その範囲は国際関係の変化に応じて伸び縮みしてきました。そして、アイヌ民族も1871(明治4)年4月4日の戸籍法の公布によって日本人という国民に組み込まれましたが、「旧土人」として差別されることを伴うものでした。

    参考文献
    榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館2007年
    エリクセン, トーマス・ハイランド(鈴木清史訳)『エスニシティとナショナリズム――人類学的視点から』明石書店2006年
    ・グールド, スティーブン・J『人間の測りまちがい:差別の科学史〈上〉〈下〉』河出書房新社2008年
    ・小熊英二『単一民族神話の起源-「日本人」の自画像の系譜』新曜社1995年
    ・小熊英二『「日本人」の境界-沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮植民地支配から復帰運動まで』新曜社1998年
    ・バルト, フレドリック「エスニック集団の境界」 青柳まちこ編・監訳『「エスニック」とは何か―エスニシティ基本論文選』新泉社1996年
    ブレイス, C・ローリング、瀬口典子「『人種』は生物学的に有効な概念ではない」 竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う』人文書院 2005年 p.437-476

Q9. アイヌ民族は何人いるのですか?

  • アイヌ民族は何人いるのですか?

     民族の範囲はお互いの意識で変化するものであることから、集団の人数を数え上げることもできません。「アイヌ民族の人口は?」とよくたずねられますが、民族という存在の性質上、確実な数字を答えられるものではありません。

     2017年に北海道が行った生活実態調査の報告書では、アイヌ民族は、「地域社会でアイヌの血を受け継いでいると思われる・・・・方、また、婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる方」(傍点は引用者が付加)と規定され、さらに、「アイヌの血を受け継いでいると思われる方であっても、アイヌであることを否定している場合は調査の対象とはしていない」とされています。ここでも、アイヌ民族であることは人々による承認や自らの承認に基づくものとされているということです。そのうえで5,571世帯、13,118人という数字が挙げられていますが、これは北海道に居住するアイヌ民族の全数ではないという断りがなされています。
     つまり、日本国民を数えることはできても「アイヌ民族」や「大和民族(和人)」を数えることはできません。

    参考文献
    ・北海道環境生活部『平成29年 北海道アイヌ生活実態調査報告書』2017年

Q10. アイヌ語は日本語とちがうのですか?

  • アイヌ語は日本語とちがうのですか?

     アイヌ語は日本語の方言ではなく、全く別の言語です。アイヌ語は日本語だけでなく、世界のほかのどの言語とも系統関係(親戚のような関係)があるとの証明はされていません。文法的なことでいえば、文をつくるときの単語の基本的な並べ方、つまり語順は日本語と同じ、「~ガ (主語)、 ~ヲ(目的語)、~スル(動詞)」ですが、文法的にはかなり異なる部分が多く、例えば否定をあらわす語は、日本語では動詞の後にきますが、アイヌ語では動詞の前にきます。

    (例) アイヌ語:ユㇰ ソモ    テㇾケ
           シカ ない    跳ねる
              (否定)   (動詞) 

            日本語: シカが 跳ね   ない
               (動詞)  (否定)

     アイヌ語は北海道や樺太、千島、東北北部で話されてきたことばです。東北のアイヌ語については記録がなく、詳しいことはわかっていませんが、アイヌ語と一口に言っても地域によってそれぞれ違いがあります。「標準語」とされるものはありません。

     アイヌ語は2009(平成21)年にユネスコにより「消滅の危機にある言語」とされました。「消滅の危機にある言語」とは、そのことばを話す人が少なくなり、伝承もされず、このままでは失われてしまうかもしれないという状況にあることばということです。アイヌ語もその一つとされていますが、現在アイヌ語を話せるように勉強している人が各地にいます。

    参考文献
    ・田村すず子「アイヌ語」 亀井孝・河野六郎・千野栄一編著『言語学大辞典 第1巻 世界言語編(上)』三省堂1988年
    ・佐藤知己『アイヌ語文法の基礎』大学書林2008年

Q11. アイヌ民族は交易の民といえるでしょうか?

  • アイヌ民族は交易の民といえるでしょうか?

     民族の文化というものはその中で完結しているわけではなく、他の民族の文化要素を取り入れて、独自の意味を与えて自分たちの文化の一部にしてしまうことが一般的です。そのために周辺の民族や地域の人々と交易や交流を活発に行います。

     アイヌ文化もいくつかの重要な要素に、交易で手に入れる外来品を取り入れています。例えば、儀礼で使われるトゥキ(杯)は本州で生産された漆器ですし、マキリ(ナイフ)の刃の部分も本州や大陸で生産された鉄です。また、衣服に使われる木綿や絹、首飾りのガラス玉なども本州以南や時には中国から輸入されました。それらを購入するために、アイヌは昆布や干鮭、あるいはクロテンやラッコの毛皮などを生産して輸出しました(アイヌが生産した昆布や鮭は日本の食文化を支え、毛皮はロシアや中国の宮廷文化を支えました)。アイヌは狩猟・漁撈の民であると同時に交易の民でもありました。
     しかし、江戸時代以降、交易の主導権を松前藩に握られ、さらに本州以南の商人がそれを請負うようになると、アイヌは不利な条件での交易を強いられるようになります。

    参考文献 
    ・上村英明『北の海の交易者たち—アイヌ民族の社会経済史』同文館出版1990年
    ・大塚和義編『北太平洋の先住民交易と工芸』思文閣出版2003年
    ・佐々木史郎『北方から来た交易民 絹と毛皮とサンタン人』日本放送出版協会1996年

Q12. アイヌ民族が受けた同化政策とはなんですか?

  • アイヌ民族が受けた同化政策とはなんですか?

     19世紀半ば、明治になり設置された開拓使がいくつかの条例、布達、通達などを出しました。
    ①女性が成人になるにつれ口の周りや手の甲などに刺青(いれずみ)を入れること、男性がピアスをつけること、夫や妻が亡くなった際に家を焼いて持たせる習慣などが禁止されました。
    ②また、すべての土地が国有地化されたことで、アイヌ民族が使える土地が限られ、自由に薪をとることも難しくなりました。
    ③サケやマスを川でとること、毒矢で鹿などをとることが禁じられ、主食の確保もままならなくなりました。
    ④日本語の学習が奨励され、アイヌ語が学校で教えられず、役所や店舗でも日本語しか通用しませんでした。このことから、家庭でアイヌ語を伝えることを断念せざるを得なくなったのでした(ただし、アイヌ語が法律で禁じられたことはありません)。
     以上のように、近代国家形成過程の中で、土地政策や同化政策などにより、先住民族であるアイヌの文化は深刻な打撃を受けました。

    参考文献
    ・榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館2007年
    ・関口明ほか編『アイヌ民族の歴史』山川出版社2015年
    ・田端宏ほか編『アイヌ民族の歴史と文化』山川出版社2000年
    ・山田伸一『近代北海道とアイヌ民族 : 狩猟規制と土地問題』北海道大学出版会2011年

Q13. 同化政策によってアイヌ民族のくらしはどのような影響を受けたんですか?

  • 同化政策によってアイヌ民族のくらしはどのような影響を受けたんですか?

     同化政策によって生活の根幹がゆるがされることになりました。また、本州以南から移住してくる和人の人口が、アイヌ民族の人口を大きく上回るようになると、多数者の和人からの民族差別が激しくなり、アイヌ民族として生きることが非常に難しい社会になりました。この結果、アイヌであることを隠し(アイヌであることから逃れ)、日本人として認められるように、伝統的なアイヌ文化を身につけないという道を選んだアイヌ民族が多くいました(しかし、「大和民族」いわゆる和人になろうとしたわけではありませんでした)。
     現在でも、容貌などから差別的なまなざしを向けられる場面が多々あり、自らアイヌであることを表明できない人が大勢います。学校でのいじめ、結婚や就職の際にアイヌだからという理由でうまくいかないことも多々あります。アイヌ文化の伝承に取り組んでいる人はほんの一部であり、アイヌであってもアイヌと名乗ることのできない環境で暮らしている人が多くいることを想像してください。

    参考文献
    ・榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館2007年
    ・関口明ほか編『アイヌ民族の歴史』山川出版社2015年
    ・田端宏ほか編『アイヌ民族の歴史と文化』山川出版社2000年
    ・山田伸一『近代北海道とアイヌ民族 : 狩猟規制と土地問題』北海道大学出版会2011年

Q14. 北海道旧土人保護法が施行された時代は、どのような時代だったのでしょうか?

  • 北海道旧土人保護法が施行された時代は、どのような時代だったのでしょうか?

     明治以降の同化政策により、アイヌ民族の生活が大きな変化を迫られ、多くの人が困窮しました【質問(12)参照】。そのような実態を基に、帝国議会(現在の国会にあたる)では議論が重ねられ、政府は北海道旧土人保護法(明治32年法律第27号)を制定しました。アイヌ民族で希望する者へ農耕を条件とした土地の給与(15,000坪以内の土地の下付、相続以外での譲渡の禁止、未開墾の場合の没収、農具や種子の貸付等)と、日本語で運営されるアイヌ学校の設置がその内容でした。生業に関しては農業に限っていましたし、すでに農業に適した土地の多くは、和人に割り当てられた後でした。また、アイヌ学校は、和人児童の学校よりも教育内容が低く、アイヌ民族の中からも差別的な教育の撤廃が要求され、1937(昭和12)年の同法改正を機に廃止されました。しかし、和人と同じ学校に通うようになったアイヌ民族の児童は、教室の中で少数者となったことから、民族差別によるいじめなどの被害が各地で見られ、新たな問題が続出しました。 そして、アイヌ文化振興法(略称)の施行に伴って1997(平成9)年に廃止されました。

    参考文献
    ・榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館2007年
    ・小川正人『近代アイヌ教育制度史研究』北海道大学図書刊行会1997年
    ・関口明ほか編『アイヌ民族の歴史』山川出版社2015年
    ・山田伸一『近代北海道とアイヌ民族 : 狩猟規制と土地問題』北海道大学出版会2011年

Q15. アイヌ文化振興法(略称)やアイヌ施策推進法(略称)はどのような法律でしょうか?

  • アイヌ文化振興法(略称)やアイヌ施策推進法(略称)はどのような法律でしょうか?

     1997(平成9)年、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略称:アイヌ文化振興法、平成9年法律第52号)が施行されました。このアイヌ文化振興法は、アイヌ文化の継承者の育成、伝統等に関する広報活動の充実、アイヌ文化振興に資する調査研究等の推進に努めるものでした。同法は、初めてアイヌを民族として認めた法律でした。

     2007(平成19)年、国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、日本政府も賛成しました。2008(平成20)年には、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択され、政府は「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」を設置し、翌2009(平成21)年には報告書が提出されました。  
     2019(令和元)年、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(略称:アイヌ施策推進法、平成31年法律第16号)が施行されると同時に、アイヌ文化振興法は廃止されました。アイヌ施策推進法では、アイヌ民族が「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族」であると初めて規定されました。この法律でもアイヌ文化の振興のほか、民族としての誇りを持って生活するためのアイヌ文化の振興等に資する環境の整備に関する施策を行うことを定められ、さまざまな事業を行うための交付金制度が創設されました。また、「第四条 何人も、アイヌの人々に対して、アイヌであることを理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない。」と差別禁止が明記されました。ウポポイ(民族共生象徴空間)に関しても規定されています。

    参考文献
    ・内閣官房アイヌ総合政策室のホームページ

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