展示

館内施設2F

イコㇿ トゥンプ
基本展示室/2F

 

アイヌ民族の視点で語る「6つのテーマ展示」

常設の基本展示室は、「私たち」というアイヌ民族の視点で、ことば・文化・歴史について紹介します。アイヌ民族が居住してきた北海道、樺太・千島・東北地方に人類が住み始めた約3万年前から、2020年までととても長い時間が対象です。また、館内のサインや展示室の解説パネルは、各地のアイヌ語を受け継ぐ人たちが考え、書いたもので、音声ガイド(貸出)やアプリでそのアイヌ語を聞くこともできます。

※音声ガイドの貸出及び展示のタッチパネル操作は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、利用を停止しております。

イアㇱケウㇰ
導入展示

ポロト湖を望むパノラミックロビーを抜け、導入展示へと至ります。そこでは、世界の民族と出会い、そのひとつの民族であるアイヌの人々がお客様を展示室へといざないます。

アエキルシ
プラザ展示

この博物館の展示の魅力のひとつは、プラザ方式という中心から周辺へと自由に展示室を回れる構成です。基本展示室の中央部に設置したプラザにはアイヌ文化の粋を集めた、芸術品としても高いレベルにある作品を展示して、それを見るだけでもアイヌ文化の概略とすぐれた芸術性を理解できるようにしています。そして、より詳しく知りたい人には周辺の個別の展示を見てもらって理解を深めていただけます。

イタㇰ
私たちのことば

アイヌ語や物語、地名や現在の取り組みを紹介します。関連資料の展示だけではなく、アイヌ語に親しめる空間となっています。いろり端に座っているような気分でアイヌ語での語りを聞くことができるコーナーや、アイヌ語の仕組みや発音をゲームを通して知ることができるコンテンツ、地名や会話についての映像もあります。

イノミ
私たちの世界

アイヌ文化の中で重要な位置を占める精神文化について紹介します。ありとあらゆるものに宿るラマッ(霊魂)の世界観が広がるアイヌの精神世界についてグラフィックを交えて説明します。樺太のイヨマンテでクマを繋ぐ高さ6m余りの木の杭が目を引きます。さまざまな儀礼に関わる諸道具について使い方を含め紹介します。

ウレㇱパ
私たちのくらし

装い・食・住まいをはじめ音楽や舞踊、子どもたちの遊びにも触れながら、くらしの文化について、道具や映像を通じて紹介します。衣服(樹皮)について、オヒョウの皮剥ぎから糸づくり、また実際の織機を展示するなど、伝承に携わる人々の取り組みも展示します。

ウパㇱクマ
私たちの歴史

アイヌ民族が語り継ぎ、残してきた歴史と、周辺の民族が残したアイヌ民族の足跡を取り上げます。展示コーナーを訪れると、上部壁面に、事柄とそれに呼応する年代や地図が連動する年表が表示され、アイヌ民族の出来事を次々に紹介します。


私たちのしごと

アイヌ民族が携わってきたしごとを取り上げます。前半は、狩猟・漁撈・農耕・採集で使用される道具やその仕組みを紹介します。一年を通して行うしごとを検索するコーナーもあります。後半では、明治以降から行ってきたしごとや工芸品などを取り上げます。仕事道具や作品などを通じて、現代のアイヌ民族の様子を伝えます。

「イタオマチㇷ゚(板綴舟):厚岸町海事記念館所蔵資料」

ウコアカㇱ
私たちの交流

アイヌ民族を取り巻く周辺の諸民族との過去から現在まで交流について紹介します。北海道厚岸湖出土の板綴舟(厚岸町所蔵)は展示のシンボルとなるものですが、厚岸町でクリーニング作業を行い、白老町に輸送後、展示に向けて微細クリーニング・補強処理作業を実施しました。

イケレウシ テンパテンパ
探究展示 テンパテンパ

体験を通じてアイヌ文化にふれることができるコーナーです。ジオラマ・模型・タマサイ(首飾)やサケ・シカの立体パズルなど、18の体験ユニットがあり、大人も子どもも楽しめます。探究展示とまわりの6テーマ展示を行き来するたびに、アイヌ文化への理解がさらに深まるはずです。(※「テンパテンパ」とは、「さわってね」という意味のアイヌ語です。)

「第15回キッズデザイン賞」優秀賞 経済産業大臣賞 受賞(子どもたちの創造性と未来を拓くデザイン部門 リテラシー部門)。

※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、一部運用を停止しております。

今期のみどころ

国立アイヌ民族博物館基本展示室では、資料の保護や、最新の研究成果、新規の収蔵資料等を紹介するため、定期的に展示替えを行っています。こちらのページでは最新の展示替え資料の中から、みどころ資料をご紹介します。

エムㇱアッ
刀掛帯

私たちの世界

展示期間 2021年7月6日(火)~2021年8月29日(日)
資料名 エムㇱアッ
刀掛帯
資料について儀礼などの際、男性が刀を身につけるために用いる帯。
帯と渦巻状の模様が施された飾り房との間が刀を差す部分となっています。刀を身につける際、刀を差した帯を肩から斜めにかけます。
本資料では、帯の経糸に36本の樹皮を撚った糸が使われています。帯の文様がない部分は、経糸がたるんでしまわない工夫がされています。緯糸には紺色と白色と黄土色の木綿糸が使われ、幾何学的な模様が施されています。

蕨手刀【わらびてとう】

私たちの歴史

展示期間 2021年12月28日(火)~2022年2月27日(日)
資料名 蕨手刀 刀身・鞘
筆者・制作年 約8世紀
(千歳市ウサクマイA遺跡付近)
所蔵 千歳市教育委員会
資料について 蕨手刀は7〜9世紀頃に生産された早蕨【さわらび】(ぜんまい)状の柄頭を有する鉄刀で、松浦武四郎の『撥雲余興』【はつうんよきょう】第2集に記載の「南都東大寺黒装蕨手刀」が名称の初現と言われています。東日本を中心に出土し、北海道では8〜9世紀頃のものが石狩低地帯やオホーツク海沿岸等で発見されています。北海道出土の蕨手刀は本州との交易で入手した威信財【いしんざい】とみられ、中でも展示品は刀身と鞘【さや】が共に残る稀有【けう】な品です。

松浦武四郎が記した調査日誌

私たちの交流

展示期間2021年5月7日(金)~
※定期的にページ替えを行います
資料名「志利辺津日誌」(『丁巳日誌』第一巻)
筆者・制作年1857年・松浦武四郎
所蔵十勝毎日新聞社
資料について松浦武四郎(1818〜1888)は、1845〜58年に現在の北海道やサハリンを6度踏査し、多くの報告書や日誌などを残しました。この展示資料は1857年に箱館奉行の命で箱館(現在の函館)から天塩までの日本海側を踏査した第5回目の報告書である『丁巳日誌(丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌)』24巻の第1巻目です。この巻は「志利辺津日誌」というタイトルで、箱館を 出立して岩内に至る行程の記録になっています。

アイヌ漁労図

私たちの交流

展示期間10月1日~12月26日
資料名アイヌ漁労図
筆者・制作年千島春里・年代不詳
所蔵アイヌ民族文化財団
印章「鳳鳴」「與昌」
本紙サイズ113.0×42.0cm
資料についてアイヌが浅瀬で漁を行う様子。五艘のイタオマチ(板綴舟)のうち一艘の舳先には、イナウが付けられています。壮健な男性たちは、ニシンと思われる青白い魚を一心にタモ網ですくい取り、舟に積み込んでおり、大漁である様子が見て取れます。着ている衣服はアットゥㇱ(樹皮衣)で、耳には赤い布を付けています。
遠景には、潮を吹くクジラとカモメの群れが見えます。北海道と東北の一部の地方の和人は、春から初夏にかけて、産卵のために浅瀬を回遊するニシンをクジラが沿岸に追い込むため、クジラは海の幸や繁栄をもたらす福の神エビスと考えられています。カモメが群がる濃青色の海の部分には、ニシンの群れがいるのでしょう。
作者の千島春里は、松前春里、藤鳳鳴、藤原与昌といった名前で知られます。生没年は不詳ですが、シーボルトが入手した作品から19世紀初め頃に松前で活動していたと推定されています。

アットゥㇱ
衣服(樹皮)

展示期間2022年4月26日(火)~6月26日(日)
展示場所プラザ展示
資料名 アットゥㇱ
衣服(樹皮)
筆者・制作年収集者 田中忠三郎
資料についてこの資料は、民俗民具研究家の田中忠三郎(1933-2013年)が青森県下北半島で収集したものです。アットゥㇱは、オヒョウという木の樹皮をはぎ加工した後、内皮を一枚ずつ層に沿ってはいでいきます。そして、細く裂いて糸を作り、機織機にかけて反物にします。これを衣服に仕立て、テープ状の木綿の布を張り付けた上に刺繍を施し完成します。この衣服は、茶と白の経糸が特徴です。茶はオヒョウ、白はイラクサなどの草、またはツルウメモドキというつる性の木が素材と思われます。また、背の杵形の切伏せは、青森や北海道の日本海側の資料にみられます。プラザ展示では、ガラスケースの両面から資料を見ることができます。繊維の違いや織り方等、じっくりご覧ください。

知里真志保の直筆原稿

展示期間2022年4月26日(火)~6月26日(日)
展示場所私たちのことば
資料名知里真志保の直筆原稿
筆者・制作年筆者 知里真志保
資料について知里真志保(1909~1961年)は、現在の登別出身のアイヌ民族で、『アイヌ神謡集』の編訳者・知里幸恵の弟です。金田一京助に師事したアイヌ語研究者で、アイヌ語や口承文芸だけではなく、文化に関する研究も行い、独自のアイヌ学の確立を目指しました。アイヌ語・アイヌ文化研究の基礎を築いた研究者の1人です。今年度の「私たちのことば」展示では、知里真志保の直筆原稿を展示していきます(定期的に資料を入れ替えて展示します)。アイヌ語の表記法などにぜひご注目ください。


知里幸恵が両親に宛てた手紙

私たちの歴史

展示期間2021年10月1日(金)~
資料名知里幸恵が両親に宛てた手紙
筆者・制作年 知里幸恵 1922年
所蔵国立アイヌ民族博物館
資料について知里幸恵は1903年、現在の北海道登別市で生まれました。旭川市の学校に進学し伯母や祖母と暮らしている時に、言語学者の金田一京助と出会ったことから、ローマ字でアイヌ語の口承文芸を記録するようになります。キリスト教の学校に通った母や伯母がローマ字を習得していたからです。東京の金田一の家に滞在して『アイヌ神謡集』をまとめている最中に、病のため19歳で亡くなりました。この手紙は、亡くなる4日前に登別の両親に宛てた、最後の手紙です。兄弟や故郷の人の安否を気遣いながら、帰省を楽しみにしていたことが分かります。

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