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特別展示室/2F

開催終了

第4回特別展示「CHIRI MASHIHO 知里真志保 ― アイヌ語研究にかけた熱意 ―」

展示概要

知里真志保(ちり ましほ:1909.2.24-1961.6.9)は、アイヌの首長の家系に生まれた言語学者、民族学者です。『アイヌ神謡集』の編訳者である知里幸恵の弟で、代表的な著書に、北海道、樺太各地で採集した語彙を基にした『分類アイヌ語辞典』や『地名アイヌ語小辞典』などがあります。これらは現在に至るまでアイヌ語やアイヌ文化研究に欠かせないものとして評価されています。そのほか、口承文芸や文化史的な論文を多く残しており、没後60年を経ても言語学、口承文芸、民族学、歴史学研究の分野への影響力は多岐にわたります。本展示では、彼に関わりのあった人びとを取り上げながら、今に受け継がれる彼の研究をふりかえります。

基本情報

「CHIRI MASHIHO 知里真志保― アイヌ語研究にかけた熱意 ―」

【会期】
2022年6月25日(土)~2022年8月21日(日)
※新型コロナウイルス感染拡大状況によっては会期を変更する場合があります。
【休館日】
毎週月曜日
※月曜日が祝日または休日の場合は翌日以降の平日が休館日になります。
【主催】
国立アイヌ民族博物館
【後援】
北海道、北海道教育委員会、公益社団法人北海道アイヌ協会
【協力】
旭川市博物館、帯広百年記念館、掛川源一郎写真委員会、神奈川大学日本常民文化研究所、 公益財団法人千里文化財団、国立民族学博物館、渋沢史料館、仙台藩白老元陣屋資料館、知里幸恵 銀のしずく記念館、弟子屈町図書館、登別アイヌ協会、登別市郷土資料館、北海道大学アイヌ・先住民研究センター、北海道博物館、北海道立図書館、北海道立文学館、北海道立北方民族博物館、幕別町教育委員会、盛岡市先人記念館(五十音順)

入場について

ご入場には、オンラインによる日時指定(事前予約)が必要です。[予約はこちら]

  • 博物館の日時指定予約は、基本展示と特別展を兼ねておりますので、一度の予約でけっこうです。
  • 再入場は当日に限り可能ですが、展示室の混雑状況により、お待ちいただく場合、もしくは再度入場予約をお取りいただく必要がある場合があります。

新型コロナウイルス対策:
当館では、日時指定予約制の継続、マスク常時着用や手指消毒の徹底など、(公財)日本博物館協会のガイドラインに基づく感染拡大防止の取り組みを行っています。

【観覧料】 民族共生象徴空間(ウポポイ)入場料 + 特別展示観覧料

  • 当館の基本展示室の観覧料は、民族共生象徴空間(ウポポイ)の入場料金に含まれます。
  • 特別展観覧券は、日時指定予約がお済みの方に限り、当日博物館館内で購入できます。(当日券のみ販売)
特別展示観覧料[税込]民族共生象徴空間(ウポポイ)入場料[税込]
大人300円(240円)1,200円(960円)/年間パスポート 2,000円
高校生200円(160円)600円(480円)/年間パスポート 1,000円
中学生以下無料無料
  • ( )は20名以上の団体料金。
  • 障害者とその介護者各1名は無料です。入園の際に証明書等をご提示ください。

関連イベント

会期中に、下記の関連イベントを開催いたします。一部のイベントは事前申込制となります。詳しくは各イベント詳細ページをご覧ください。

展示構成

  1. 登別に生まれて
  2. 東京での学生生活とアイヌ語研究への決意
  3. アイヌ語研究の基礎を築く ― 樺太と北海道でそれぞれの専門家と ―
  4. 北海道各地での調査と辞典編さん
  5. 真志保を描くウタリ ― 同族からの熱い想い ―
  6. AYNU ITAK ― 知里先生のアイヌ語研究にふれてみよう ―

新たな資料と解説パネル追加のお知らせ

当展覧会に知里真志保のお孫さんが見に来てくださいました。その際、知里の学位記などをご持参いただき、このたび新たにケースを追加して展示しています。さらに、赤ベコの解説パネルとして、知里の娘さんに寄せて頂いた文章を追加しました。知里と家族にとって赤ベコが重要な存在だったことがわかります。

1章 登別に生まれて 1909~1930

知⾥真志保は、1909(明治42)年2⽉24⽇、現在の登別市で誕⽣しました。家族にはアイヌ⼝承⽂芸の伝承に優れた⼈物が多く、姉の知⾥幸恵はアイヌの⼝承⽂芸をローマ字で記し、⽇本語の対訳をつけた『アイヌ神謡集』の編訳者として、現在も多くの⼈に親しまれています。伯⺟の⾦成マツもまた、みずからアイヌ語をローマ字で筆録して、⼝承⽂芸のノートを残しています。のちに研究者として⼤きく活躍する真志保にとって、家族や故郷は研究の原点ともいえます。

1950年頃の知里真志保
登別市郷土資料館蔵

2章 東京での学生生活とアイヌ語研究への決意 1930~1940

1930(昭和5)年から1940年にかけて、第⼀⾼等学校(旧制⼀⾼)から東京帝国⼤学、同⼤学院に進学し、在学中には三省堂に勤務していました。この頃から地元の幌別を中⼼としたアイヌ⽂化やアイヌ語の研究に本格的に取り組むようになり、説話などを収集しさまざまな雑誌に投稿しています。また数多くの⺠俗学研究者と接点を持つことで、アイヌ⾃⾝の視線でアイヌ⽂化を研究することの重要性を強く感じるようになりました。

学生時代の調査ノート

3章 アイヌ語研究の基礎を築く ― 樺太と北海道でそれぞれの専門家と ― 1940~1950

知⾥は⼤学院を中退し、⼥学校教員として就職するため1940(昭和15)年に樺太へと渡り、樺太庁博物館の嘱託技術員を兼任します。そこでさまざまな分野の専⾨家と出会い、共同研究を⾏いました。この時代の調査研究が、1943年に登別に戻って以降も続く⾔語学だけにとどまらない研究スタイルへとつながっていきます。また、このときの⼤きな成果である「アイヌ語法研究 ― 樺太⽅⾔を中⼼として ―」は、1954年に北海道⼤学より博⼠号を授与された際の主論⽂となりました。

アイヌ語法研究 ― 樺太方言を中心として ― 」

4章  北海道各地での調査と辞典編さん 1950~1961

渋沢敬三の⽀援を受けた知⾥は北海道⼤学に籍を置き、1950(昭和25)年には登別から札幌に引っ越しました。⾼倉新⼀郎や河野広道、更科源蔵らと各地の⾃治体史編さんにたずさわり、さらに⼭⽥秀三と地名の共同調査を⾏い、知⾥は地名に関する⼊⾨書や辞典を出版しました。アイヌの壮⼤な⽂化史を提起するのもこの時期です。ライフワークだった『分類アイヌ語辞典』を2冊出して、1961年に⼼臓の病気のため52歳で亡くなりました。

名寄でのアイヌ語・文化調査(右から2番目が知里 真志保 )
登別市郷土資料館蔵

5章 知里真志保を描くウタリ ― 同族からの熱い想い ―

知⾥の⼈⽣はさまざまな⼈との出会いに満ち溢れていました。学⽣時代にアイヌ語を教わった⼈、知⾥の仕事に憧れを抱いて会いに来た⼈など、彼はアイヌの歴史と⽂化において重要な⼈びとと会ってきました。また、近⽂アイヌ給与地問題の陳情団が東京へ赴いたとき、北海道旧⼟⼈保護法改正法律案が国会を通過したとき、北海道アイヌ協会が設⽴されたときなど、歴史の重要な局⾯にも彼の姿がありました。

1953年北海道大学での研究会にて(右から3番目が知里真志保)
登別市郷土資料館蔵

6章 AYNU ITAK ― 知里先生のアイヌ語研究にふれてみよう ―

AYNU ITAK(アイヌイタㇰ)は、アイヌ語を楽しく学べるコーナーです。知里先生のアイヌ語研究をもとにしたアイヌ語のクイズやゲームが体験できます。 また、来場の記念にフォトスポットとしても利用できます。

アイヌ語地名パズル

アイヌ語地名パズル

オリジナルグッズ

本展覧会の開催を記念して、知里真志保の使用していた蔵書印「知里印」がポーチやマグカップになりました。
ショップでは、そのほか日常使いできるグッズが登場します。お楽しみに!

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